Music Diary
[ 2001.08.21 ]
ニューポート・ジャズ・フェスティバル・イン・斑尾 2001(1)
毎年、シティグループ・プライベートバンク・ニューポート・ジャズ・フェスティバル・イン・斑尾が、私の夏をつれてくる。
今年17回目を数える、老舗ジャズフェスであるニューポート・ジャズ・フェスティバル・イン・斑尾に、2回目から欠かさず行っている私は、そこでたくさんの温かい想いに触れ、叱られもし(たとえばTV 収録中、ディジー・ガレスピーに生返事のかどで叱咤)、ますますジャズの魅力の深みにはまり、愛し、ことば通り育てていただいてきた。3年間のお休みを加えて計算すると、2001年が20周年になるわけだから、私の音楽ジャーナリスト歴とほぼ重なる格好になる。
その斑尾が、今年過去最高の2万1千人の入場者数を記録し、音楽的にも素晴らしかったので、本当にうれしかった。
今回の我がダイアリーは、お待ちかね、斑尾リポートをお届けします。
最終日の8月5日。斑尾高原のスキースロープを利用して作られた太陽の下の観客席で、色とりどりのTシャツが楽しげに揺れるのをみながら、私は深い感慨にとらわれていた。
この斑尾のジャズ・フェスティバルがスタートしてからの20年間に、(ジャズはもう過去のものなんて言われながら、それでも新たな音楽と結びつきつつ)ジャズが進化を続けてきたことへの感銘。また日本のジャズ・ミュージシャンの演奏レベルが、大いに上がったことを誇りに思って。そしてニューポート・ジャズ・フェスティバル・イン・斑尾が、その後全国で開催されるようになった数多くのジャズ・フェスティバルすべての規範として、音楽界に寄与してきたものを思っての感慨だった。
それに観客も、すてきな方へと変わってきた。以前はジャズ・ファンが中心だったのが、この20年間に観客層が広がり、ジャズ・ピクニックと銘打たれた昼の公演そのままに、家族連れで楽しむ姿が多くなった。ノリもよければ、ダンスも上手い。そんな「楽しみ方」の上手になったオーディエンスと一緒にいるだけで、うれしくなるものがあるのだ。ティーンエイジのお子さんをはさんで踊る両親は、今はUターンして長野市に住む技術者だそうだが、実はこの斑尾のジャズフェスで恋の花を咲かせたのだという。斑尾をそんな包むアット・ホームな温かさが、このジャズフェスを多くの人々にとってかけがいがないものにしていた。
音楽的にも、ニューポート・ジャズ・フェスティバル・イン・斑尾2001は特筆すべき素晴らしさだった。それは2つの核があってのことで、まずジャズ・サックス界の巨人、ウェイン・ショーターが組んだ新グループが、日本ではこの斑尾だけで見ることができたこと。そしてアメリカでは大きな潮流となっているラテン音楽の隆盛が(これはヒスパニック系の人口の増加とリンクしている)、この斑尾でもキューバ出身のアルトゥーロ・サンドヴァールと、日本のビッグ・バンドでありながらカーネギーホールでの公演も成功させ、ヒスパニック系アメリカ人に絶大な人気を誇る熱帯ジャズ楽団が参加したことで、ラテン・ジャズの愉しさを満喫する共に、ブームを超えたその大きな流れにじかにふれることができたことによる。
まずウェイン・ショーターから話を始めよう。
ウェイン・ショーターが、今や(マイルス・デイヴィス亡き後)ジャズの精神的な支柱であることを、この斑尾で思い知った。このジャズフェスの感想をミュージシャンにインタビューしていると、例年は山の景観や、観客とじかに触れあえる温かな雰囲気を指摘してくるミュージシャンが多いのに、今年は判で押したように、しかも自分のことはさておいて、「ウェイン・ショーターと同じステージに立ててうれしかった!」ことを皆があげたのだ。
シカゴ出身のボーカリスト、カート・エリングは「ウェイン・ショーターが3日続けて聴けるなんて、なんて素晴らしいフェスティヴァルだ」とすっかり観客気分。話しに熱中してくるとそこに評論家気分も加わったようで、「今ショーターは新ルネッサンス期を向かえている」と解説。
ウェインのグループのメンバーは、頼まれもしないのに、ウェインの後をついてまわり、彼のことば、行動からを学ぼうとしていていた。演奏中も、ステージの袖、楽屋はウェインを聴きたい、そしてちょっとでも言葉を交わしたいミュージシャンで満員だったが、グループのピアニストであるパナマ出身のダニーロ・ペレスなど、ウェインが素晴らしい即興演奏をすると、ピアノを弾きながら、後ろ、つまりステージの袖にいる我々ギャラリーを振り向き、さもうれしそうにいちいちニッコリ笑うものだから、他のミュージシャンの嫉妬に火がついていた。
またグループのベーシストであるジョン・パティトゥッチが言っていたが、メンバーになって言われたことは、ただ一つ。
「今までやったことのない、プレイをしてごらん」だそうだ。「それが一番、むずかいしいんだけど」。そうよね。
ジャム・サウンド・シーンから"踊れるジャズ"をモットーに来日したカール・デンソンは、少年時代からの大のショーター・ファン。
「彼の写真をとるために、東京でカメラを買ってきた」 というほどの熱心さで、なんと"PRESS"の腕章までつけて、ステージ下に日本のカメラマンたちにもまれながら陣取った。そして言った。
「あのような名作曲家であり名演奏家が、過去の栄光にとらわれることなく、かえってそこから脱却して、新たなものを創造しようとしている姿に感動するじゃないか。ウェインの演奏に、ジャズの未来が信じられると思ったね」
そう、まったくカールの言うとおりだった。ウェイン・ショーターは、もうすぐ68歳になろうという大御所だが、今回の新たなカルテットのコンセプトは「プランしないこと」。作曲も「非作曲」、作曲からの脱却を目指した新グループだというのだから、驚かずにはいられない。
ことばでいうと禅問答でも、聴いてみるとごく自然に音楽が泉から湧き出るようで、そのジャズは奇をてらったものではまったくなく、ジャズの即興演奏に立脚した、壮大な音楽性。ある種、現代音楽の、たとえば武満徹のような音楽性といったらいいだろうか。即興演奏の神髄をみる、エキサイティングなステージを毎回くりひろげた。
ウェインの音楽は、高い芸術性を誇り、決して受けようとか、商業ベースに流れることはないが(いつもレコード会社の方が根負けしてウェインはその独自性を貫いてきた。その姿勢もミュージシャンに尊敬されているのだろう)と同時に、難しい音楽なのではない。初日に、こんなことがあった。屋外でのフェスティヴァルだ。ステージ上は屋根があるが、風が吹くから、どうしてもハウル。マイクが拾うそのキーンという音に、メンバーが顔をしかめ不快感があたりを満たし始めた頃、ウェインがそのテナー・サックスで、そのハウリの音を真似て出した。皆が息をのんだ。な、何だ。ウェインはその音から、不思議なフレーズを生み出して、また演奏に進んでいったのだった。
そのとき、カルテットのメンバーの顔がいっせいにほころび、イヤな緊張が消滅した。そして4人は、あとは一丸となって(魂までひとつになって!)集中力の賜物とでもいうべき音楽を生んでいった。
同じ曲の途中で、楽器をテナーからソプラノに替え、澄みきった音色を高原一杯に広げたときには、それに呼応するように陽の光が強くなった。自然と一体となって生み出すハーモニーの美しさに、私も音楽のもつスピリチュアルな力を強く感じ、身が浄化されるような思いを味わった。
そのウェイン・ショーターに聞いた。どうすれば、あなたのように(年齢に関係なく)新たな音楽を創造し続けていけるのですか。彼は思索的なその面立ちに、淡い笑みを浮かべて言った。
「音楽は人生と同じなんだ。人生は、冒険であるべきでしょう?ぼくらは皆おそれずに、冒険をしなくてはいけないんだよ。人生も音楽も、厳密に言えば次の瞬間のことは解らない。ならば、音楽、あるいは人生の監督兼主演&脚本家&サウンドトラック担当として、臨機応変に次の瞬間に向かわなくてはいけない。そのように生きたとき、運命が君に微笑むんだ。そして人生、あるいは音楽が、冒険にみちたものになるんだよ」
ウェインは、こんなことも言った。
「作曲と即興演奏は、ひとつの動きの中にあるものだ。それが対等にあるとき、演奏者には葛藤が生まれる。その葛藤が、いいものを生むんだ。人工的にプランしたものより、勝るんだね。たとえばスティーヴン・ホーキンスが答えを求めるとき、そこには葛藤があるのであって、その葛藤が答えを運んでくるんだ」
ウェインは95年に発表した「ハイ・ライフ」以来、自己名義のアルバムは発表していない。(97年にハービー・ハンコックと組んだデュオ作「1+1」がある。)だからここ数年、新作の発表が待たれていたウェインだが、このカルテットのライヴを今年のワールド・ツアー中に録音したものが1枚。続けてスタジオ録音したものが、もう1枚、年内には完成する予定だという。これには、期待極大!あなたも、待っていてほしい。









