Music Diary
[ 2001.08.21 ]
ニューポート・ジャズ・フェスティバル・イン・斑尾 2001(2)
さて、若い世代の出演者に目を転じると、まず今アメリカの大学生を中心に流行っている"ジャム・サウンド"のムーヴメントの中で注目されているカール・デンソン(サックス、ヴォーカル)が、魅せてくれた。
「ぼくのジャズはダンス・ジャズと呼んでほしい。ジャンルの壁を超え、サウンドの内で音楽のワンネス(ひとつであること)を証明したいんだ」 と語るデンソンの音楽は、R&Bやファンクの要素をたっぷりと含み、それをエンターテインメント精神にくるんで送り出してくる。だから彼のタイニー・ユニヴァースがステージに上がると、観客はそのホーンが生む躍動に誘われて体が自然に動いてしまう。
斑尾の愉しさのひとつに、トレンド・セッターとしての顔がある。毎年何か新しいサムシングを紹介してくれ、斑尾に出た新人は翌年ブレイクするという噂を呼んでいるほどだ。今年のブレイク予定者は、デンソンにまちがいなく、ジャンルの壁を突き破り、音楽のワンネスを信じた力に満ちた演奏に、こちらもいつしか踊っていた。
"クラブ"に行く世代が新に取り込んだものが、ジャズをまた進化させていた。
高原に歌声を聴かせたヴォーカリストが、2人とも男性だったので、それは近年の男性ヴォーカリストの活躍と連動しているようで興味深かった。(ジャズ界は永年男性ヴォーカリスト不作にあえいでいたのだ。)
即興性のあるボーカルで観客を楽しませたのは、シカゴ出身・在住の。彼のへんてこな髭は私に不評をかっていたが、彼の言うことはよく解った。
「ぼくはずっとスキャットやヴォーカリーズトいった手法で、人を驚かせるようと、いわば歌うジェット・コースターを目指してきたんだが、これからはキャデラックの乗り心地をもった歌唱でいかなくてはと思っているんだ」。
夜のジャム・セッションで、ジョン・パティトゥッチのベースと共演した〈ウィロウ・ウィープ・フォー・ミー〉のなめらかな歌唱で、その新境地も聴かせていた。
日本から参加のTOKUは、そのスモーキーな歌声とフリューゲルホーンの温かな音色が高原にマッチして、会場を夢の世界へいざなった。
ちなみにカール・デンソンがお母さんを(72歳、今回が初の海外旅行!)同行していて、彼女のキュートでりんとした姿が大人気。ミュージシャン皆のアイドルになったが、彼女の一番のお気に入りが、このTOKUだった。
さて、最後にリポートしたいのがキューバが生んだ超絶技巧のトランペッター、アルトゥーロ・サンドヴァールと、熱帯ジャズ楽団の共演が斑尾だけでかなったフィナーレだ。日本発の熱帯ジャズ楽団の方がしっかりしたアレンジをもっていること以外、何の遜色もなく、ラテンのリズムに生きる喜びをのせてどこまでも楽しく素晴らしい共演がくりひろげられた。サンドヴァールは90年にアメリカに亡命したきっかけともなった師、ディジー・ガレスピーにとってこの斑尾が晩年の日本の拠点だったと聞いて、一層奮起したと言っていた。彼に、ラテン音楽が21世紀を席巻すると言われているが、どう思うか聞くと、こんな風に答えてくれた。
「え? 21世紀を、じゃないでしょ。今、すでに席巻しているんだよ。ラテン音楽が国を選ばず、これほど流行っているのは、人々が音楽くらい楽しくなくてはやっていけないと感じている厳しい世相が生んだものだと思っている。ラテン音楽は政治を歌わない。辛いことも言わない。恋と愛ばかり歌う。それで音楽は充分なのではないかい?ラテンは、まさしく21世紀の今の今、必要とされている音楽なんだ」
熱帯ジャズ楽団のリーダー、カルロス管野は自身がオルケスタ・デル・ソル時代からラテン音楽に貢献してきた経緯を語ってくれた。ヒスパニック第3世代が、また故郷のラテン音楽を聴き出した、おおきなきっかけがオルケスタ・デル・ソルだったという。デル・ソルがやったラテン音楽とヒップ・ホップの融合に、ヒスパニック第3世代が飛びついたというわけだ。以来、逆輸入の形で、日本に火がつくのはいつも最後だった。でも、今や大きく認知され、どのジャズフェスでもひっぱりだこの熱帯ジャズ楽団である。
熱帯ジャズ楽団のライヴは、今回も秀逸だった。一人ひとりのミュージシャンの力量が、半端じゃないのだ。神保彰のドラムも、久しぶりに聴いたけれど、以前より雄々しい演奏でよかったし、宮本大路がサックスを手に持ちながらスキャットを始めたときには、サンドヴァールがお腹をかかえて笑っていた。高橋ゲタ夫のベースは、彼の刻むリズムが、幸せを運んでくるようだった。
両バンドが共演した〈マンボ・イン〉が、信州、斑尾高原を熱狂させていった。そこにフィナーレの物悲しさはなく、祝祭を自宅にまで持ち帰ろうという勢いで、オーディエンスが総立ちでステップをふんでいた。私はその姿を、素晴らしいと思った。そして永きに渡って、多くの音楽的な財産を築いてきたこのニューポート・ジャズ・フェスティバル・イン・斑尾を、今一度誇りに思ったのだった。
山々の間に陽が沈もうとしていたが、高原の一角では、ラテンのリズムがまだ鳴りやみそうにもなかった。








