Music Diary
[ 2006.09.30 ]
ブランフォード・マルサリス・カルテットの雄々しい『ブラッグタウン』
2006年5月第1週、ブランフォード・マルサリスが3年ぶりにカルテットを率いて来日したことは、ライブ評を書いて既にお伝えしました。大型連休中の、ブルーノート東京だけでの6日間公演。今回はアジア・ツアーの一環で、マレーシア、クアラルンプールでのクラシックを含めた公演の後、韓国、ソウルでもカルテットによるホール・コンサートを大盛況のうちに終え、最後に東京を訪れたのでした。
その折、ブランフォード本人が、マスタリングが終わったばかりの新作『ブラッグタウン』をもってきました。すぐ聴いてみると、これがすごかったんです。待ってました!と言いたくなる、久々にオリジナル曲がメインにすえられたアルバムです。
思えば、マルサリス・レーベルからリリースされたブランフォードのリーダー作は、企画性の高いものが多かったですね。ジョン・コルトレーンら先達の作品を取りあげた02年の『フットステップス』。アフリカ系アメリカ人画家として、またジャズ愛好家/作曲家としても名高い芸術家が愛したジャズを、ブランフォード流にアレンジした『ロメール・ベアデンに捧ぐ』(03年)。そして、込められたメランコリイが聴く者の心に深くしみこみ、涙がでそうになるほどの情感をたたえていた初のバラード集『エターナル』(04年)。 わたしはこのアルバムすべてを楽しみながらも、心のどこかで、ずっと今作のようなブランフォードらしい、彼にしか生めないオリジナルな声が、あらゆる角度から聴こえてくる作品を心待ちにしてきました。
ブランフォードが、今作を手渡しながら言いました。
「前作でジャズのロマンティックな面を全面に出したから、今作は雄々しいものにしたかった。カルテットのレベルも、今までとは比較にならないほど上がってきていたから、すべてのタイミングがこの方向を指し示していたんだと思う。『エターナル』も、04年にオランダでライヴを撮影したDVD『至上の愛』も自分自身にとってのベストだったと思う。でも、今作では、それ以上の自分のベストが出せた」
彼の顔に、会心の笑みがこぼれていました。ちなみに、ブラッグタウンとは、ブランフォードが住んでいるノースカロライナ州にある、とある町の名だそう。「タフな雰囲気の町なので、タフなこのアルバムのタイトルにした」。
先ほどリーダー本人も語っていましたが、グループのクオリティの向上は、メンバー各々の腕があがったことと呼応しています。ブランフォードの場合は、クラシックで交響楽団に客演することも多く、日々練習に励んだ成果が現れ、前作あたりからテナー/ソプラノ・サックスの音色が格段に美しくなりました。
初リーダー作からの共演者であるジェフ・"テイン"・ワッツ(ds)は、ジャズを大きくつかまえる姿勢がブランフォード同様だから、このカルテットの核&土台の役割を担っています。そして近年とみに、演奏に重量感を増したエリック・レヴィス(b)。ケニー・カークランドの後任で「今になってやっと、自分がこのバンドのピアノだと胸をはれるようになった」と誇らしげに語ったジョーイ・カルデラッツォ(p)。この3人もそれぞれに自己のバンドを率いていて(ジョーイはソロ・ピアノでも活動)、演奏/作曲において腕をあげています。各自の精進と切磋琢磨がブランフォード・マルサリス・カルテットを真のバンドにし、より結束力のある、爆発可能なバンドにしたのです。
今作のレコーディングは、それを意識して行われました。メンバーが各自のグループでの活動を4ヶ月行ったその直後、再会の初日をわざわざ選んで録音したのです。それも、ほとんどの曲がファースト・テイクかセカンド・テイク。瞬間に賭けるエネルギーを第一義として、録音したのです。ブランフォードが言いました。
「完全を目指すより、不完全であっても、エネルギーが溢れかえる演奏が欲しかったんだ。バンドがシステムをもってユニット化してしまうと、音楽がただのアレンジになってしまうから、それは絶対に避けたいじゃないか。実際、レコーディングが終わると、メンバーたちは一部オーヴァー・ダヴィングしたい箇所があると言ってきた。だが、ぼくはあえてこのままがいいんだと説得した」 このアルバムにある爆発するエネルギーは、こうして保たれました。この限界も予定調和もない音楽は、ジャズが原始にもっていた、あくなき自由への希求と共鳴しているじゃありませんか。
『ブラッグタウン』には、柱になるナンバーが3曲収められています。冒頭の (ブランフォード作曲)〈ジャック・ベイカー〉。4曲目に収録された(テイン作曲)〈ブラックジラ〉と、オリジナル盤最終曲(エリック作曲) の〈ブラック・エルク・スピークス〉です。
来日公演では、ほとんどのギグが〈ジャック・ベイカー〉で始められていました。そのたびに壮大なエネルギーが、ステージからなだれ込んできたものです。初めからフル・スロットルでとばすパワーに驚嘆しましたが、アルバムであってもその想いは変わりません。
冒頭のリフレインの効果。ジョーイのピアノ・ソロが今までには感じられなかった広大さを切り開きます。エリックの力強いベースに、テインの大きな空間を一人で支えうるドラム。ブランフォードが再び参加するときには、雄々しいスピリットが浮き彫りになるんです。気力と体力、ともに十二分でなければできない演奏!興奮してしまうのは、わたしだけではないでしょう。
「この曲はジョーイとコルトレーンの話をしていて、生まれた曲なんだ。ジョーイはコルトレーンはスケールの人だと言ったが、ぼくは〈Mr.PC〉などを例にとって、スケールだけじゃなくブルースの要素も兼ね備えていたと反論した。それじゃ、そんな曲を書いてみてよと言われ、作曲したんだ。テインがフツーの4/4拍子にしなかったのが、この曲をさらに大きくした」(ブランフォード)
〈ブラックジラ〉は、わたしたち日本人なら誰でも知っている、怪獣映画「ゴジラ」のために伊福部昭が作曲したメイン・テーマのモチーフを冒頭に使い、テインが発展させ書いたものです。伊福部も変拍子を巧みに使うことで知られた作曲家でしたが、ここでも11/8拍子で演奏されています。
パワフルな盛り上がりは、まさしくゴジラ級。ブランフォードとテインを軸に、その音列(決してブランフォードはメロディとは言わない)とリズムを自在に変化させて、巨大なエネルギーの渦を生みだし、聴く者を巻きこむのです。
そして、エリック・レヴィスが書いた〈ブラック・エルク・スピークス〉の、伝えくるストーリーの迫真さ。これはエリックがアメリカ先住民の首長であるブラック・エルクについて書かれた本を読み、感動して作曲したもの。ブラック・エルクが「今日は死ぬのに格好の美しい日だ」と言い残し、捕われの身になるより尊厳をもって戦った、そのスピリットを表現したものだそうです。エリックの、魂をベースにぶつける演奏。ジョーイが鍵盤に全身全霊をこめれば、ブランフォードのプレイには猛々しくさと高潔さが共存しています。そして、テインは再び、尋常ではないほどにサウンドを自在に変化させて、カルテットの軸になっています。「Beatiful day to die」と叫んでいるのは、そのテインです。すごい迫力ですよね。
他にもクラシックに題材をとった曲がありますが、こちらもまっすぐなジャズになっていて、好感をもちました。それに、美しくって心を打つんです。
まず〈フェイト〉ですが、この曲はリヒャルト・ワーグナー(1813-1883)作曲の楽劇「ニールンベルグの指輪」にインスパイアされて、ブランフォードが書いたバラードです。「聴いていて耳に残るモチーフがあり、その印象をもとに書いた。後になって、ワーグナー自身、形を変えつつ各幕に登場するそのモチーフを『フェイト(運命の)・モチーフ』と呼んでいたことを知り、タイトルにした」
〈オ・ソリテュード〉は、イギリスのミドル・バロックの作曲家、ヘンリー・パーセル(1659-1695)の作。パーセルは、ウエストミンスター寺院のオルガン奏者を経て、最終的に国王付きの音楽家になった作曲家ですが、36年間の短い生涯に、独自性をもった作品を残しました。「衛星ラジオでパーセルを聴いたぼくは、この〈オ・ソリテュード〉がソプラノ・サックスとバンドにぴったりだと感じた。編成はまったく異なるけれど、これは原曲のまま演奏している」
ブランフォードのソプラノの音色は、最近とみに美しいのです。実はこの曲だけ入れなくてもよかったのではと、内心思っています。それに文句をつければ、あのジャケットはないでしょう、とも思うんです。男らしいアルバムだから、体育館で4人集合とは、ちょっとクリシェ(ありきたり)ですよね。でも、音楽がごっついので、その前ではごく小さな文句です。
そのくらい、この『ブラッグタウン』には、やられました。今年No,1は、確実です。
〈ブラックジラ〉を聴いたとき、その怪獣が、ブランフォードが嫌う、ただ聴く人の歓心を買うためのジャズを踏みつぶしながら、ジャズ街道をのっしのっしと歩いていく姿が見えました。〈ブラック・エルク・スピークス〉を聴いたときには、真のジャズという武器を手に、大地を駆けていく戦士たちが見えたものです。首長ブラック・エルクは高潔な死を選択しましたが、その精神をブランフォード・マルサリス・カルテットが伝承するかぎり、ジャズが死ぬことはありません。そう信じさせてくれた、『ブラッグタウン』なのです。









