Music Diary

[ 2008.10.08 ]

ダイアン・リーヴスの『ラヴィン・ユー』なLIVE

 4度グラミー賞に輝き、ジャズ界を牽引するシンガーの一人であるダイアン・リーヴスが、その伸びやかな歌声をいかして、上質なポップス・アルバム『ラヴィン・ユー』をリリースしたのは、今年の春のこと。

 そのタイトル曲〈ラヴィン・ユー〉は、1975年にミニー・リパートンが大ヒットさせたナンバーでした。ミニーは、高音域を極限までいかして歌い話題になりましたが、そこでのダイアンは、より深みのある声で、楽しげに恋心を歌っていました。それも、彼女にしてはとてもシンプルに。

 ダイアンは技巧派として知られてきたシンガーです。今までのアルバムやステージで、わたしが少々不満だったのは、反対に「なぜ、そんなに巧さを見せてしまうのか?」ということでした。巧いのは、すごいこと。彼女の歌を聴けば、誰でもそのテクニックに舌を巻きます。

 でも、聴き手は巧いから感動するのではないのですね。「自分の気持ちを替わりに歌ってもらった」と思ったときに、心を動かされるもの。そこにこめられたエモーションや物語に共感し、感動するもの。もっと言えば、声にこもった、歌い手の人生そのものに動かされるのです。 下手なのは論外ですが、超絶テクは、歌の場合、邪魔になることが多いのです。

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 抑制の美を、わたしは一人の聴き手としてキース・ジャレットから教わってきました。歌だと、やはりビリー・ホリデイでしょうか。

 シンガーは、特にライヴでそうなるのですが、どうしてもお客様を前にするとサービス精神がでてしまい、表現を「抑制する」が難しい。

 新作でのダイアンは技巧的な表現を、いつもより控えて(たとえばと得意のスキャットでも短めにして)いました。そのバランス感覚が心地よく、今までのダイアン・リーヴスのアルバムで最高だと思いました。

 ですが、その素直な歌唱も、取りあげた楽曲がポップスだから軽く歌えたのか、ライヴになるとまだ張り上げて歌っているかまでは判明せず、彼女がほんとうに新境地に達しているかどうかは「LIVE待ち」でした。

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 秋になり、ダイアン・リーヴスが東京ミッドタウン内にできた「ビルボードライブ東京」にやってきました。

 アフリカン・テイストのドレスに、アクセサリーはターコイズ。アフリカへの敬慕と、彼女が育ち、今も住むコロラド州に色濃く残るネイティヴ・アメリカンの伝統への敬意が、服装からもわかる出で立ちでの登場でした。

 ダイアンは、最初の2曲こそ、まだ声が充分にはでなかったのですが、ステージが進むにつれてパワーが増し、感動のショーを展開しました。

 ダイアンは、やっぱり変わっていました。ライヴでも超絶技巧にたよることなく、「歌」で勝負していく。「ハッピーさ」や「元気さ」で会場を充たしていく。その変貌は、日本デビューのときから観てきたわたしにとっても、新鮮なものでした。

  もう、あえてテクニックを見せる必要のない、自信がつちかわれたのでしょう。女性として成熟を甘受する心情にもなったのでしょう。

 ちょっと話がそれますが、女性シンガーの「壁」は50歳にあると、友人で耳鼻咽喉科のドクターで、シンガーでもある松永さん(@大北メディカルクリニック)が言っていました。それは身体の変化と連動したことで、いかんともしがたいものです。そうではあっても、そこをどう折り合うか、どう乗り越えるかで、その後が大きく変わると思います。

「肉体的なエネルギーに頼る人は、加齢とともに衰えるのは当たり前です。でも、肉体的なエネルギーが衰えるが故に、精神的エネルギーの本来の偉大さを感じようとし、感じられた人だけが、さらなる成長を遂げるのだと思います」(ドクター松永談)

 わたしはダイアンと同世代。同世代のシンガーには、他にカサンドラ・ウィルソンやダイアン・シューアがいます。その3人が、現代のジャズ・ヴォーカル御三家といわれている女性たちです。最近はシューアがあまり活発に活動していないでの、残る2人が先陣を競っている現状です。

 実は先だって、カサンドラ・ウィルソンのギグがブルーノート東京でありました。カサンドラとわたしは彼女がM-Baseで活動していた時代に、NYの、小さな汚いクラブで出逢って以来、話も息も合う友人です。そして、自らを「即興演奏家」と名乗る彼女に、尊敬の念を覚えてきました。
 友情も敬愛も変わらないのですが、でも、ギグは今ひとつだった。なぜかと言えば、ステージに元気がなかったからです。

 わたしは、最近、「元気がある」LIVEを好もしく思うのです。前向きなエネルギーに溢れている、とか、力の限り、とか、楽しいのが第一義だと思うようになりました。もしかしたら、わたし自身の肉体的なエネルギーが減少しているから、そう思うのかもしれませんね。でも、LIVEに望むのは肉体的なエネルギーではありません。精神的にWELLなエネルギーに溢れていないと、行ったかいがないと思うのです。そうでないのならば、自宅で自分の創作をしていた方が、よっぽど元気がでます。

 これはカサンドラに関して言っているのではありません。でも、カサンドラほどの才能でも、元気がないLIVEは、あまりうれしくないなと、思ったことは本当です。

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 場面をビルボードライブ東京に戻しましょう。その日は、毎日新聞・学芸部の名物記者、川崎さんと同席していました。川崎さんにそんな話をすると、若いときにもっていたもの、すべてをもって成熟の世代を歩もうとするか、余分な荷物を捨てて、進もうとするかで、大きく違ってくるのだろうという返答でした。

「ダイアン・リーヴスは、きっと正しい選択をしたんでしょうね」

 そうですね。ダイアンは「テクニック」に固執するのを止め、「元気」をもって50歳代に進んできたのです。その素直な歌唱が、彼女の「ウェルネス」でした。

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バック・メンバーも、最高水準の力量をもちながら、ダイアン同様「ソング」に献身した、抑制美のある演奏で通しました。ピーター・マーティン(p)が音楽監督を兼ね、ご存知ブラジルを代表するギタリスト、ホメロ・ルバンボが爽やかですばらしいギターを奏でます。ルーベン・ロジャース(b)、グレゴリー・ハッチンソン(ds)も、超絶技巧派のミュージシャンですが、ここでは「歌伴」に徹し、前に出すぎず、でもミュージカルな演奏でダイアンの歌を引き立てていたのです。

 ホメロ・ルバンボとはボサ・ノヴァの名曲〈トリステ〉や、新作のタイトル曲〈ラヴィン・ユー〉の冒頭を、デュオで聴かせてくれました。2人が生みだす音と音の空間に、聴き手は自身の感情を書きこむことができたのですね。そのとき、会場全体に強い共感が生まれるのを感じ、歌が聴き手のものになった瞬間に立ち会ったと、確信しました。

 歌の中間部から終盤をアフリカン・テイストで壮大に盛り上げていく手法は、その日も健在で、そこに彼女のアイデンティティが息づいているのを感じました。会場を埋めた聴衆とともに歌った最終曲〈ホエン・ユー・ノー〉では、ダイアンのリードに導かれ、ビルボードライブ東京がアフリカン・スキャットの合唱団と化したのです。

 音楽の楽しさを第一義にすえたダイアン・リーヴスは、今までで最もすてきで、美しく、パワフルでした。

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ダイアン・リーヴス
『ラヴィン・ユー』

EMIミュージック・ジャパン
TOCJ-66441
2008年4月30日発売
※ 権利者の許可を得ずに、複製することを禁じます。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ダイアンを楽屋に訪ねる。8歳のときからコロラド州デンバーで育ち、今も同州に住んでいるダイアンだが、ちょうど来日していた我がゴッド・マザー、マリリン・ヤングバードもデンバー在住で、再会を期してメールの交換会も。左は、マリリンのアシスタント、キャサリーン。