Music Diary

[ 2009.10.20 ]

秋吉敏子 solo

ひどい風邪をひいてしまいました。
5年間、風邪をひいていないというプチ自慢も、これでご破算。。。

でも、動けるようになった今思うのは、「フラワー・レメディ」で治ったという経験の方が貴重だった気がしています。

さて、そんなわけで、今夜は楽しみにしていたLIVEに行けました。
秋吉敏子さんが来日され、赤坂のB Flatでのソロ・ピアノ公演に招待してくださっていたのです。

秋吉さんは、今は解散したビッグバンド(1973~2004)からスモール・コンボ、夫君であるルー・タバキン(ts)とのデュオ、そしてソロ・ピアノと、編成を選びませんが、ビッグバンド解散の理由が「もっとピアニストとして精進したいから」と聞き、もっとって、、、と、あんぐり口を開けたことがあります。

女性の年齢をいうのは、女性憲法違反ですから申しませんが、
彼女は今でも演奏のない日は、JRに乗ってピアノの練習に行きます。
ぜったいに、そのクオリティを落とさない。
執念にも似た決意でなされている、その音楽への献身ぶりに、すべての聴衆が鼓舞されるわけです。

今夜も素晴らしかったですね。
まだ、あまり種明かししてはいけないのでしょうが、セカンド・セットで演奏したクラシックの名曲のジャズ化が見事だった。

その先駆者であるジョン・ルイスも、秋吉さんのピアノの後援者の一人でしたが、
ジョンの端正な形ではなく、秋吉敏子のジャズになっている。
そこがすごいのです。
決して、ぶれない。揺るがない。

ビバップの潮流をくむそのピアノは、クラシックを弾いても、思考するように一瞬止まります。
指先が思考している。
それを聴くことは、まるでその曲が作曲されたときのように、指から音が創出される瞬間に立ち会う喜びを、聴き手にもたらすのです。

その「創出」のときを共有することは、ただ単に即興の現場に立ち会うという以上の、厳粛な喜びがあるのです。

また、すてきな小品、ビング・クロスビーが歌った「カウント・ユア・ブレッシング・ザン・カウンティング・シープ」(羊を数えるより、あなたが恵まれている点を数えましょう、という歌)を弾き、そのまろみのあるフレーズにも魅せられました。

コンサート最後は、近年の恒例ですが、「組曲ヒロシマ」から「HOPE」。
この曲を聴くと、わたしはいつも涙してしまうのですが、
原爆が落とされたヒロシマで、地獄のような惨状にあっても、なおほほえむ少女の写真をみた秋吉さんが、その笑顔に一筋の希望を感じて書いた曲です。

すばらしい曲で、NYの合唱団が近年よく取りあげているそうです。
オバマ大統領のヒロシマへの認識も、アメリカに住みながら原爆の悲惨さを訴え続けてきた、秋吉さんの活動がひとつの種になっていると、わたしは思っているのです。

演奏からはまったく感じませんでしたが、秋吉さんも風邪をひかれているそう。
それで、このツアー・スケジュールをこなし、LIVE後も嬉々としてファンの方と会われるのですから、その気力・体力に敬服します。

     ◆      ◆      ◆
今夜は、もうひとつのスペシャルな再会もありました。
慶應義塾にできた新しい大学院、KMDの奥出直人教授が、高校時代からの友人である、岩崎哲也さんと数十年ぶりに会ったのです。

岩崎さんは、高名なプロデューサーで、秋吉さんの次作にあたるピアノ・ソロ作をレコーディングしたのも彼なのです。

お2人は、ジャズからガンサー・シュラーまでを語り合い、聴きあった仲間だとか。
その2人が秋吉さんの公演で再会するのは、とてもふさわしく、
「数十年ぶりの再会」という紹介に、秋吉さんも目を丸くしておられました。

楽しさに、風邪も飛んでいく、一夜でした。

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DSC01511.JPG秋吉敏子 ソロ @B fiat 赤坂

DSC01516.JPG秋吉敏子さんを囲んで 慶應義塾KMD奥出直人教授(左)と、慶應男子校からの奥出先生の友人でもある、秋吉さんのプロデューサー、岩崎哲也さん(右)

DSC01513.JPG秋吉さんとのうれしい再会