Music Diary

[ 2009.12.16 ]

菊地成孔の華と毒

3年目になる、2夜連続のオーチャードホール公演。
菊地成孔(なるよし)が、自身の2グループでBunkamuraオーチャードホールを連夜満員にしました。

この祝祭も、今年で一度終了するというのです。
戦略?
あきたの?
菊地の文筆家、音楽教育者としても活動する多面的な顔を知っている人は、そう思うかもしれません。

でも、あらかじめ決まっていたことなのだそうです。
そのシンクロニシティ。今までも、数々のイベントで起きてきた同時性が、ある種の人たちには彼を怪しいヤツに見せてきたのです。
でも、そのシンクロニシティこみ、さまざまなメディアでの活動こみの、菊地の今のすべてを、この二夜で聴くことができました。

まず初日、12月4日は、ペペ・トルメント・アスカラール。
砂糖づけの拷問をされた、女たらしという意味の楽団です。
砂糖漬けの拷問をする、女たらし、かしら?

菊地のサックス、早川純のバンドネオン、弦楽四重奏、ハープ、ラテン・アフロ・パーカッションの大儀見元と、田中倫明。
加えてリズム隊がすばらしくて、林正樹のピアノ、鳥越啓介のベース。
こういった類を見ないユニークな編成でのアンサンブルが、新作『ニューヨーク・ヘルソニック・バレエ』と前作からのナンバーを核に演奏するのです。

弦の重なりの意図されたにじみから、官能が立ちのぼります。
官能は、きっちりしたところからは生まれないのですね。弦のずれから、もれだします。
そのことを技術的にも知っている中島ノブユキが書いた、前作の弦がもっとも官能的。(中島は映画「人間失格」の音楽を担当したそうですから、注目です。来年2月公開)

「映画『アルファビル』〜悲しきワルツ」では循環するワルツのリズムを切り裂いて、菊地の雄々しいブロウが現前します。もう、恥ずかしいほどに男っぽい。それがテナー・サックスという楽器の特質でもありますが、いまどき他所では聴くことのない、男の叫びです。

ここでは菊地のエモーションを浮き上がらせるための、完璧にオーガニックな装置が用意されていました。

2部に入って、「私が土の下に横たわる時」でソプラノの林正子が一端会場の気を浄化します。

そのあと、菊地のブロウに散見される死、性、暴力、憎しみが毒を増すのです。
客席では涙する女性、瞑目する男、笑うカップルと、反応があまりに多様。

菊地が内部にもつ多様性のある側面に、聴衆が共振するのでしょうね。それが、彼の人気の高さを解く鍵になるかもしれません。
       ◆        ◆        ◆
2日目のダブ・セクステットは類家心平(tp)との2管で、'60年代のマイルス・デイヴィス・クインテットを原型に、フリー・ジャズのエネルギーをとりこみ、前衛的かつスタイリッシュなジャズを展開しました。

前衛的でスタイリッシュ、なんて形容が並立するはずがないのですが、そのあるはずのない世界を目指しているのが、このダブ・セクステットなのです。

菊地の音楽は、ジョルジュ・バタイユの文学に似ています。
毒でさえ甘い味がし、それを養分に負の華を咲かせる。
そこでは醜い・美しい、汚い・清いといった対比は無効です。

密度の高い音の疾走。
連続してくりだされるそのデンシティな音に、魅入られたように会場が、ひとつの耳と化していきます。

二夜ともに驚嘆したのは、菊地が聴衆におもねることなく音楽するその振る舞いと、観客の受容の態度です。

誰も席を立たない。
立っていいんですよ。もし、わたしがそう言ったとしても、離席する人はいなかったでしょう。

UAが歌った「虹の彼方に」は霞がかかっていましたけれど、歌われたいびつな未来にもライヴな音楽は必ずや生きているという、確信にみちた予言。

聴衆の聴き、行動する能力を高める音楽家として、わたくしは菊地成孔をまぶしく見つめたのでした。

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EWCD_0167.jpg菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールの新作『ニューヨーク・ヘルソニック・バレエ』(イーストワークス エンタテインメント)

_DSC0274.JPG菊地成孔@Bunkamuraオーチャードホール  撮影:土居政則