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[ 2009.04.10 ]
慶應義塾大学 村林裕教授
作日、9日に慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス(sfc)に、本年度、初出勤しました。
家から片道2時間余の、通勤/通学です。
初年度はその距離に「旅気分」を味わいましたが、おかげさまで慣れてくると、
本は読める、相鉄戦のなかでぼ〜っとできる、
旅に行きたくなる頻度が減った、
そして最もありがたいことに、体力がつきました。
ご覧のように、中高校の敷地には、桜並木があります。
きれいですね。
東京より、すこし遅い、その桜を愛で、ここで3回目の桜を見られることに感謝しました。
◆ ◆ ◆
先日BLENZのカテゴリに、小学校のクラスメイト、サコのことを書きましたが、このsfcにも同級生がいます。
村林裕教授です。
彼はスポーツ・ビジネスを教えていますが、
FC東京の社長でもある。
社長になって塾に招かれたのではなく、
FC東京の創設に携わり、異例の兼務で教授になった後に、社長に就任したのですから、希有なケースです。
彼の多忙は察してあまりありますが、ご本人は平気な顔をしている。
慶應義塾を愛し、その教職についたことに感謝と誇りをもって、
たいへんな熱意で学生の指導にあたっています。
村林さん、愛称ムラバは、大学時代、応援指導部のキャプテンで
彼のリードで歌う「若き血」は絶品だと、評されていました。
今は、応援指導部OB会会長もされていると聞きましたが、
これほど若い会長は初めてなのだそうです。
わたしの妹、貴美子も、体育会応援指導部でした。
いえ、ガクランは着ていません。
チアー・リーダーだったんですね。
ですから、村林さんを大いにリスペクトしていて、今でも彼の姿が視界に入ると、家では見たことがない「直立不動」になりますW
学生時代は勉強も運動もでき、小学校では「常任クラス委員」でしたが、ご本人は
「サッカー選手としては伸びなかったことをバネに、
FC東京創設に力を尽くすことができた」と言っています。
東京ガス勤務の一環として、パークハイアット内にある、超おしゃれな「コンラン・ショップ」も、村林さんがイギリスに渡り、交渉を重ねて東京にもってきたのでした。
「クラスメイトなんですもの、特別料金にしてね」と言うと、
「OK、20%増しにしてあげよう」
◆ ◆ ◆
この教壇での写真は、わたしたちの小学校の恩師、
高橋元夫先生にお見せしようと撮りました。
先生は、わたしたち2人が教員になったことを、
申し訳ないくらい喜んでくださっているのですが、その姿はお見せしたことがありません。
ですから、ここでお見せしようと、思い立ったわけです。
高橋先生のスパルタ教育のおかげで、わたしたちの今があります。
給食は、好き嫌いを言わずに、残さずいただく。たとえ、5時限目が始まろうともW
たくさんのプリントをやる。宿題を忘れたら、校庭を走る。
雪の日にラグビーをやったこともあります。もちろん、女子も。
今のわたしに最も寄与しているのは、6年間、毎日日記をつける習慣をつけてくださったこと。宿題です。書かないわけには、いかなかった。
これが、わたしがした、唯一の「文章修行」でしょうか。今も、書くことが苦にならないのは、6年間日記を書き続けたおかげです。
時代の先を行っていましたね。「ライフログ」をやってたわけです。
親もスパルタ教育を双手を上げて喜んでいましたし、先生は当時卒業されて間もない若さで、ハンサムですから、母親たちにもたいへんな人気でした。
わたしたちも、今も大好きで、お正月の第3日曜日には先生のお宅に押しかけます。
高橋元夫先生、少なくとも、ムラバは立派な先生です。
ご安心ください!






